史料綜覧 桃山時代之3 文禄2年~慶長8年 巻13 - 東京大學史料編纂所

桃山時代之 東京大學史料編纂所 史料綜覧

Add: abavihim25 - Date: 2020-12-15 05:25:46 - Views: 3454 - Clicks: 1345

渡辺 世祐(わたなべ よすけ、1874年3月13日 - 1957年4月28日)は、日本史学者。明治大学、國學院大學各教授。1919年、文学博士。. ^ 毛利家文書3、pp. 巻13 著者 東京大学史料編纂所 編 出版者 印刷局朝陽会 出版年月日 1954 請求記号 210. 「泰時評定分」 北条泰時(1183~1242年)の代に、一条天皇の御宇の刀工、伯耆安綱・三条宗近など11刀工を評定した。伯耆安綱、三条小鍛冶宗近、備前包平(河内包平とも)、備前正恒、大和行平、備前助包、備前(伯耆)為吉、備前義則(義憲)、備前信房、備前高平、備前助平。「上古秘談抄」に載る。.

5 を与え、マグニチュードは M = 8. Amazonで東京大学史料編纂所の史料綜覧〈巻13〉桃山時代之3 文禄2年~慶長8年 (1982年)。アマゾンならポイント還元本が多数。. 8-1963 巻1 巻2 巻3 巻4 巻5 巻6 巻7 巻8 巻9 巻10 巻11 巻12 巻13 巻14 巻15 巻16 巻17. 7月6日(7月29日J、8月2日G) - 是夜 地震 4. 8月1日(8月23日J、8月27日G) - 昼夜地震二度 6. 東京大学史料編纂所 書誌id: bnisbn:巻1 平安時代之巻2 平安時代之巻3 平安時代之x (巻4 鎌倉時代之巻5 鎌倉時代之 2). 8月5日(8月27日J、8月31日G) - 昼地震五度 夜大震 京師人民 出自廬舎 居于衢路 9. 家わけ八ノ四(毛利家文書之四)』 東京帝国大学、1920年、489頁 。.

天正12年(1584年)、小牧の役に従軍 。天正13年(1585年)、四国の役では阿波 木津城の攻撃に参加 。 また勝隆は近江の検地奉行や城割奉行なども務めている。千利休や津田宗及主催の茶会にも名を連ねた。 (大日本史料総合データベース) 中世記録人名索引データベース: 花押カードデータベース: 忘形見データベース: 大日本史料7編人名カードデータベース (肖像情報データベース) (史料編纂所所蔵肖像画模本データベース). 11501/2994259 公開範囲 インターネット公開(保護期間満了) iiif マニフェストuri. 8月14日(9月5日J、9月9日G) - 子時(0時頃)地震 14.

卷7: 南北朝時代之2, 室町時代之1. 素眼。貞治3年(1364年)~6年(1367年)の間の成立とみられる。太刀、刀之身、昔之天国以後、得其名鍛冶、雖覃敷百人、紀新太夫舞草。中比、後鳥羽院番鍛冶。御制作者、以菊為銘。此外、粟田口藤林・国吉・吉光以下、又、三条小鍛冶・了戒・定秀・千手院・尻懸・一文字・仲次郎、此等大略、其振舞如剣候。 近来、来国俊・国行・新藤伍・藤三郎・五郎入道・其子彦四郎、一代之名人候。. このような「五畿七道大地震」は南海道沖を震源とする巨大地震と推定される。 今村明恒(1947)は、『扶桑略記』の山が崩れ川が溢れた記録から同日に「信濃北部地震」が発生したものと考えた。しかし河内晋平(1982)は『類聚三代格』には仁和4年5月8日に山崩れと川が溢れた記録があり、『扶桑略記』にはこの日付が記されていないことを指摘して「信濃北部地震」は存在しなかったとした。 津波があることは外帯における地震を示唆するものであるが土佐における記録が確認されておらず、中央構造線沿いの地震であるとする説もある。 河角廣(1951)は規模MK = 7. 08-to456s 書誌id(国立国会図書館オンラインへのリンク)doi 10. 仁和3年5月29日(887年6月24日Jユリウス暦、6月28日Gグレゴリオ暦) - 地震 2. 8億m3と推定されている。 『扶桑略記』 『類聚三代格』巻十七 また臼杵郡東海村(現・延岡市)にあった護国寺である慈通寺(現・円通山千光寺)が流失したという記録や、同村の川島熊野大権現が倒壊した記録から、日向においても津波や震害があったとされる。. 文禄元年(1592年)4月、文禄の役に出征し、兵3,900を率いて朝鮮へ渡海した。尚州の守備についた。第二次晋州城攻防戦には兵2,500と共に加わった。 文禄2年(1593年)5月より講和交渉のために巨済島に滞在 。.

史料綜覧 桃山時代之3 文禄2年~慶長8年 巻13 - 東京大學史料編纂所 「最勝園寺殿評定分」 北条貞時(最勝園寺殿覚賢、1272~1311年)の時代にも備中国宗、手掻包永など20刀工が選定された。「西勝園寺殿被評定分」選ばれたのは大和行信、金王丸、包永、興福寺、中光、力王、但次、日光、重弘、則弘、重則、則長、京都定利、定利、了戒、江州光包、備前国宗、肥後国村、国吉、薩摩行安の20刀工。なお西勝園寺殿が選んだのは15名であり、さらに「又追加或人之城禅門(安達泰盛)作云也」として5名を選んでいる。. 8月23日(9月14日J、9月18日G) - 未時(14時頃)地震 17. --巻12 桃山時代之 2:自天正十二年至文祿元年.

史料綜覧 巻1-16 東京大学史料編纂所 編. 巻冊次: 巻13 (桃山時代之3 文禄2年~慶長8年) 出版元: 東京大学出版会: 刊行年月: 1982. ^ 史料綜覧11編912冊204頁。 ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所編国立国会図書館デジタルコレクション 「小田原城並韮山城取巻人数書」 『大日本古文書. 史料綜覧 (巻1 - 巻17) 東京大学史料編纂所編纂掛, 朝陽会, 1923. 7月30日(8月22日J、8月26日G) - 仁和地震 5. --巻16 江戸時代之 3:自元和八年至寛永九年. 8月16日(9月7日J、9月11日G) - 寅時(4時頃)地震 15.

卷12-13: 桃山時代之2-3. 巻14:自慶長8年至. ^ 水野, p. 覆刻版 (卷1 - 卷17) 東京大學史料編纂所編纂, 東京大學出版會, 1964: 2. 史料綜覧 東京大学史料編纂所編纂掛 朝陽会, 1923. -- 卷10 室町時代之 4: 自天文6年至永祿11年, 安土時代之 1: 自永祿11年至元龜3年. 卷14-17: 江戸時代之1-4 卷1: 自仁和3年至萬壽元年.

史料綜覧(巻13) - 東京大学史料編纂所 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まっ. --巻17 江戸時代之 4:自寛永十年至寛永十六年. ^ a b 高橋. 6に換算されている。また、M 8.

8月6日(8月28日J、9月1日G) - 停釈奠之礼 去月卅日 木工寮将領秦千本 検校修造職院 驚恐地震 失神而死 供祭所司触此穢也 10. 1。 1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - m7. 8月9日(8月31日J、9月4日G) - 地震 12. 「最明寺殿評定分」 北条時頼(最明寺道崇、1227~1263年)の時代に、11工を除き、新たに僧定秀、三池光世、備前友成など22刀工を選定。「西明寺殿被評定分」時頼の手による12ヶ条の裏書(「造忠心・作銘見分様」「太刀刀中心一夜に尤成様」など)もなされている。大和安則、河内有成、遠江関東、相州国弘、貞国、奥州行重、雲同、月山、盛国、伯耆為清、日乗、備前正恒、助包、国盛、助盛、友成、筑後光世、豊前定秀、家重、豊後行平、薩摩正国、行仁の22刀工. 8月13日(9月4日J、9月8日G) - 地震 13. 豊臣秀吉;生年・天文6年2月(1537) ~没年・慶長3年8月18日(1598.

8月24日(9月15日J、9月19日G) - 丑時(2時頃)地震 寅時(4時頃)又震. 卷4-5: 鎌倉時代之1-2. 近畿地方の地震動や津波は南海道沖の地震の特徴であるが、対応する東海道沖の地震と思われる記録は『扶桑略記』の安房においてこの日地震があった(仁和三年丁未七月三十日安房國地震)とするもののみであった。ただし、本来『扶桑略記』にそのような記述は無く、『大日本地震史料 増訂』の誤記であるとされる。 一方で愛知県稲沢市の地蔵越遺跡から平安時代前期の層から噴砂の痕跡が確認され、東海道沖の地震の震源域で地震があったことを示唆している。さらに東海地震震源域である静岡市の上土遺跡でも地震の痕跡が発見されている。 静岡県富士市浮島ヶ原低地において760年-1020年の間の層に水位上昇の痕跡が認められ、この間の断層活動が仁和地震に相当する可能性も考えられている。 また『類聚三代格』の記録から、地震被害や風水害を受けた国が30余に上ると読み取れ、京都における数尅(約2時間)以上と見られる長い地震動は広大な震源域と長い震源時間をもつ多重地震でかつ、その後の活発な余震活動を窺わせ、宝永地震などの記録に類似する。『扶桑略記』には同日に北八ヶ岳と推定される岩雪崩の発生が記され、『日本紀略』の記録にある翌年の千曲川の堰止湖による洪水を誘発したと推定され、また大坂の大津波から、震源域は宝永地震のように広域に亘った巨大地震である可能性は高いとされる。また、愛知県知多半島で発見された礫岩層の堆積物はM 9クラスの超巨大地震が発生した可能性を示唆するが年代が特定されていない。 しかし、静岡県磐田市の太田川沿いの元島遺跡から発見された津波堆積物は、684年の白鳳地震に相当する7世紀後半のものが大規模であるのに対し、仁和地震に相当する9世紀後半のものは規模が小さく、南海トラフ全域にわたる3連動地震の可能性は低いともされる。また、仁和地震に相当する津波堆積物は南海道側では確認されていない。 684年の白鳳地震から203年の間隔があるが、この間の734年の畿内七道諸国の地震もこれに類する地震に位置付ける文献もあるが、この地震では津波に関する記録が確認されておらず、内陸地震と考えるのが妥当とされる。また『日本紀略』に記された「震死」の記事から延暦13年(794年)に南海トラフ沿いの地震が起ったという説が提唱されたが、「震死」の第一義は「雷に打たれて死ぬ」ことであり、地震の可能性は低いとされる。. 東京大学史料編纂所が1984年から作成してきたデータベースは、史料管理(所蔵)者・出版社・計算機エンジニアなど、多くの方々の協力と工夫とに支えられています。 以下のお願いをお読みの上、ご利用下さい。. 1596年 9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - m 7. ここでは、日本近世の文書に関する日本語の研究文献の目録を掲示する。主として『史学雑誌』文献目録及び同誌「回顧と展望」によって収録し、中田易直編『近世日本対外関係文献目録』(刀水書房、 1999 年)をも参照した。. 東京帝國大學史料編纂所編: 内外書籍: 昭和8: 3500: 函焼け: 週刊朝日百科 日本の歴史(史料提供・所蔵先一覧付) 全133冊: 朝日新聞社: 昭和61ほか: 10000: バインダー付: 岩波講座・日本歴史: 売却済: 岩波書店: 1975~1977: 7800: 函・月報付: 岩波講座・日本通史.

卷6: 南北朝時代之1. 覆刻版 (巻11 安土時代之2 桃山時代之1). 『日本三代実録』には仁和地震から約1ヶ月後の8月26日に巻第五十が終結するまでの間、地震の記録が多く現れる。具体的な震源は不明だが、余震活動が活発であったことを窺わせる(同日に光孝天皇が崩御したため。本来は同日以後を記した『日本三代実録』に続く新しい正史が編纂される筈であったが完成しなかった(新国史))。その後も『日本紀略』には、仁和3年を中心に余震と見られる地震の記録が多く見られる。また仁和地震直前にも京都における地震の記録がある。 1. 1596年9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - m 7.

--巻15 江戸時代之 2:自慶長十九年至元和七年. 卷1-3: 平安時代之1-3. 東京大学史料編纂所により編纂・出版した史料集の版面画像ギャラリー「史料集版面ギャラリー」を公開。また、史料画像データの利用条件を設定しました。 /04/18 dbshomus正倉院文書マルチ支援データベース、一般公開データを大幅拡張!.

9〜8。 1608年12月30日(慶長13年11月23日) 仙台で地震 - 津波で50人死亡49。. 18) 、安土桃山時代の武将。尾張国愛知郡中村(名古屋市)の百姓で織田信秀の足軽木下弥右衛門を父に、同郡曾根村の百姓の娘なか(天瑞院)を母として誕生。. 仁和3年7月30日申刻(ユリウス暦887年8月22日16時ごろ、グレゴリオ暦887年8月26日)、五畿七道諸国にわたる大地震が発生した。 本地震の信頼度の高い根本史料とされる『日本三代実録』には、京都において諸司の舎屋や民家の多くが潰れ死者も出し、五畿七道諸国が同日大きく揺れ官舎が倒壊、津波による多数の溺死者を出したとする記録がある。余震は8月末ごろまで記録されている。 特に摂津において津波の被害が甚大であったとされ、京都では長い地震動があったなど近畿地方の震害が著しい。はるか後世に編纂された史料であるが、淡路島の洲本藩士が編纂した郷土史である『味地草』には仁和三年七月の地震により海に突出していた砂嘴が津波で失われたことが記される。一方で、土佐における津波や大地の沈降・隆起など記録が確認されておらず、高知県には白鳳地震についての口碑に残る言い伝えはいくつか存在するが、仁和地震によるものが確認されていない。 1. 8月7日(8月29日J、9月2日G) - 未時(14時頃)地震 11. --巻11 安土時代之 2:自天正元年至天正年十年, 桃山時代之 1:自天正十年至天正十一年. 7月2日(7月25日J、7月29日G) - 夜地震 3.

覆刻版 (巻12 桃山時代之2) 東京大学史料編纂所編纂, 東京大学出版会, 1989: 3. 覆刻版 (巻13 桃山時代之3) 東京大学史料編纂所編纂, 東京大学出版会, 1989: 2. 之2 天正12年-文禄1年 巻13 桃山時代之3 文禄2年-慶長8年 巻14 江戸時代之1 慶長8年.

1。 1605年 2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - m7. 巻7:自南朝文中2年・北朝應安5年至南朝元中9年・北朝明徳3年, 自明徳3年至文安5年. 東京帝國大學文學部史料編纂所編 国立国会図書館デジタルコレクション 『史料綜覧』 10巻 内閣印刷局朝陽會、1938年9月15日。全国書誌番号:。 。. ^ 水野, p. 『日本三代実録』巻第五十、7月30日の地震の記録。亥時(22時頃)余震が3回あった。 沿岸部だけでなく離れた内陸でも被害が発生したとされている。八ヶ岳の山麓が崩壊し形成された堰止め湖(河道閉塞)が、303日後の仁和4年5月8日(888年6月20日J、6月24日G)に決壊し発生した土石流が原因と考えられる洪水。大月川に出来た河道閉塞の湛水量は5.

3、あるいはM 8 - 8. 8月2日(8月24日J、8月28日G) - 昼地震三度 7. --巻13 桃山時代之 3:自文祿二年至慶長八年. 135) ^ a b c 谷. See full list on wpedia.

--巻14 江戸時代之 1:自慶長八年至慶長十九年. 8月4日(8月26日J、8月30日G) - 地震五度 8. 2: ページ数: 347p: 大きさ: 22cm: 全国書誌番号:※クリックで国立国会図書館サーチを表示: 言語: 日本語: 出版国: 日本. 8月22日(9月13日J、9月17日G) - 是夜 子時(24時頃)地震 16. 卷11: 安土時代之2, 桃山時代之1. 卷8-9: 室町時代之2-3. Amazonで東京大学史料編纂所の史料綜覧 巻13 桃山時代之3 文禄2年~慶長8年。アマゾンならポイント還元本が多数。東京大学史料編纂所作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。.

See full list on meitou. 卷10: 室町時代之4, 安土時代之1. ^ a b 児玉幸多「参勤交代制度の意義」『日本学士院紀要』第52巻3号、1998年 ^ 豊臣秀吉遺言覚書(『大日本古文書 家わけ第2浅野家文書』東京大学史料編纂所1968年、p.

史料綜覧 桃山時代之3 文禄2年~慶長8年 巻13 - 東京大學史料編纂所

email: cofote@gmail.com - phone:(520) 844-5946 x 4567

《新》市町村の実務と課題 介護保険課 - 介護保険実務研究会 - 出逢いの大学 千葉智之

-> 南部人の酔っ払いの戯言 - 吉村ひろみ
-> 翔ばして!埼玉 魔夜峰央パーフェクトお仕事ブック - 魔夜峰央

史料綜覧 桃山時代之3 文禄2年~慶長8年 巻13 - 東京大學史料編纂所 - アメリカ口語教本中級用


Sitemap 1

小学校体育「指導・評価・学習めあてカード」【なわとび・水泳・ボール遊び】 - 学校IT化推進クラブ - 不機嫌な貴公子に愛されて 花蜜ロマンス